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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [10]




 上目遣いの瑠駆真に両手を震わせる華恩だが、隣の女子生徒に(さと)されてなんとか気を落ち着ける。
「本来ならこのような場所に留まっている時間もないのですが、あなたにだけは一言告げておく必要があると思いましてね」
「僕に?」
「えぇ。在学中、あなたとはいろいろと関わり合いもありましたし」
「何を言われようとも、僕にはあなたの申し出を受ける気はありませんよ」
 その言葉に、華恩は意外にも優雅な笑みを浮かべる。
性急(せいきゅう)ね」
 ゆったりと背凭れに身を預ける。
「この(わたくし)が、まだあなたに執着しているとお思い? あなた、意外と自惚(うぬぼ)れね」
「あぁ、見当はずれだったのか」
 その程度の挑発に踊らされるような瑠駆真ではない。むしろ、そう言ってもらえて安堵する。廿楽華恩からの呼び出しだと聞いて、また付き合えだなどと迫られたらどうしようかと困惑していたのは確かだから。
「それはよかった」
 華のような笑顔で嬉しそうに首を傾げる美少年に、華恩どころか周囲の女子生徒の頬までもが薄っすら紅く染まる。だがその笑顔、少々微妙だ。
 もう好きでもなんでもないと言われて逆に喜ぶような相手。明らかに嫌味だ。不快を感じてもおかしくはない。
「どこまでも不愉快ね」
 聞こえないように呟いたようだが、瑠駆真の耳にはしっかりと届いていた。だが聞こえぬフリ。
「それで? もう何とも思われていないのなら、なぜ僕はここに?」
「ハッキリさせておきたかっただけよ」
「ハッキリ?」
「えぇ」
 華恩は居住いを正す。
「あなたは私が、いえ、あなただけではないわ。唐渓の生徒の中には、私があなたに傾倒して盲目的に恋焦がれていたと思っている人間もいるようですけれど、それは明らかな間違いよ」
 左右の女子生徒は、皆一様に少し俯いてジッとしている。
「私はただ、転入して戸惑う事も多いであろうあなたに微力ながらお助けの手を差し伸べてあげようとしたまでの事。間違っても、熱烈に愛情を傾けていたワケではありません」
 はぁ?
 呆気に取られて返事のできない瑠駆真。
「しかも噂では、一年生の女子生徒を使って大迫美鶴を陥れようとしていただなどと囁かれているようですが、それも違うわ。誰があのような下層人間をマトモに相手になどするものですか」
 嫌な感情が胸の内に沸いた。だが華恩は反論の余地など与えずに続ける。
「とにかく、たとえもう卒業する身とはいえ、そのような醜聞を放置したままでは関係する方々にもご迷惑をお掛けしてしまうので、ここできっちりと訂正いたしたく、あなたを呼んだ次第よ。おわかり?」
「そうですか」
「わかったの?」
「えぇ、話の内容はわかりました」
「じゃあ、もういいわ」
「は?」
 軽く目を丸くする相手へ向かって、華恩は適当に右手を振る。
「用件を終わりよ。もう下がってもいいわ」
 その言葉に、末席に控えていた女子生徒が立ち上がる。
「あの」
 口を開く瑠駆真の態度など無視して出口へ誘導する。
「ご苦労様でした」
 扉の外へ瑠駆真を追い出し、いや誘導し、女子生徒は小さく頭を下げて扉を閉じた。
 なんだったんだ?
 さすがの瑠駆真も困惑する。
 結局、ただの言い訳? 立つ鳥後を濁さず? いや、どちらかと言うと濁しまくっているような。
 そう考えると、なんだか腹の底から笑いが込み上げてくる。
 結局は、小さな人間だったという事なんだろうな。
 だが、国立大に現役合格したところをみると、やはり名門私立高校で権力を行使していただけの事はあるのかもしれない。自殺未遂事件後はほとんど登校もしてこなかったのだから受験勉強には有り余るほどの時間はあったのだろうが、それでも関東の、日本最高峰と言われる大学に現役合格するなど、並の学力では叶わない。
 見た目も、悪くはないはずだ。
 容姿、学力。その二つを兼ね備えているのにあの矜持。
 もったいない。
 思い出して、思わず嘆息する。
「何だよ?」
 怪訝そうな聡の声が、瑠駆真を現実へと引き戻す。
「いや」
 だが、思わずフッと笑ってしまう。
「何だ? 気持ち悪い」
「いや、ただこれで、廿楽という厄介な存在が消えてくれて良かったと思っているだけだ」
 その美貌には似つかわしくない辛辣な言葉。
「王子様がその態度? 嫁探しで、何か不都合でもあったか?」
「しつこいね」
「どうとでも言え。あの黒人、最近は見ねぇな。本当に嫁でも見つかったか?」
「くだらない」
「嫁探しが冗談なら、何だったんだ?」
「何が?」
「あの黒人だよ」
 両肘を机に乗せ、ゆっくりと顎をあげる。
「しばらくの間、放課後は毎日アイツと一緒だっただろ? 美鶴をすっぽかしてまでの用件だ。何だったんだ?」
「君には関係無い」
「美鶴よりも、大事な用か?」
 視線が交差する。
「そんな用事、俺には無いけどな」
 美鶴よりも大切な用事なんて、俺には無い。
「僕にも無いね」
「あれだけ駅舎を留守にしていたのに? 俺と美鶴が二人っきりになる可能性だってあったはずだ。その危険を冒してまで、いったい何してた? いっそ、美鶴から手を引いてくれたのかと思ってもいたんだがな」
「そんな無駄な期待は金輪際しない方がいいよ。するだけ損だから」
「じゃあ、何だ?」
 顎を引き、机の上に身を乗り出す。
「美鶴も、関わっている事なのか? それとも」
 声が低くなる。
「美鶴が繁華街を徘徊してるって話と、関係があるのか?」
「あれは」
 言いかけ、入り口の扉が開く音に口を閉じる。
 美鶴かと思い顔を向け、違うのを確認してホッと息を吐く。
「涼木さん」
 だがツバサは、そんな瑠駆真になどはお構いなし。ズンズンと中へ入り込むと、一直線に聡の傍まで詰め寄った。
「どういう事よっ!」
 開口一番、そう叫ぶ。
「何が?」
 さすがにポカンと口を開ける聡に、ツバサは腰に手を当て、身を少し前へ倒す。
「シロちゃんに手を出したって、どういう事?」
「はぁ?」
「昨日、唐草ハウスに来たでしょう?」
 その言葉に、聡はあっと声をあげる。







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